カンカンのなかみ

可愛い缶に大事なものを詰め込んだ

きっと綺麗なものだけ見て生きるのは難しい

今年は、ミニシアターに足を運びたいと思っています。

 

静岡シネ・ギャラリーです。

 

静岡シネ・ギャラリー公式HP 映画情報 今後の上映予定など

 

f:id:konatsu87:20170617211745j:image

 

f:id:konatsu87:20170617211757j:image

 外観がちょっと洋風レトロな感じ。

ミニシアターと言っても、1番大きいスクリーンがある場所が、市民文化会館の小ホールのような会場。

小さくなると、高校の視聴覚室のような部屋。自主上映会っぽい雰囲気。

でも、なかなか見られない作品が観られるだけ感謝です!

 

受付で、チケットを買うと番号札が渡されて、開場時間になると5番ずつくらい番号が呼ばれます。自分の番号札が呼ばれれば入場できます。自由席なので、好きなところに座れます。座席位置にこだわりがある方は、早めにチケットを購入して早い番号札を取っておくといいと思います。

 

作品にもよりますが、割と年配のお客さんが多いかも。映画ツウそうなおじさん(1日で4作品見るみたいだった!)や、知的な感じのマダム(待ち時間も文庫本を開いている)を見かけます。

なんだか自分も文化人になった気がします笑

 

今月、2本の映画を観に行ってきました。

仕事柄、「障がい」にアンテナが引っかかりやすく、自閉症と視覚障がいを扱った作品です。

 

「ぼくと魔法の言葉たち」

www.transformer.co.jp

アメリカの自閉症の青年とその家族のドキュメンタリーです。

とても興味深かったです。

自閉症であっても本人を交えて(というか、主体に置いて)今後についてディスカッションしたり、カウンセラーが生活設計に関わっていたり、親元から離れて暮らすべきだという考えがある。

主体性を持って、自分はどう考えるのかを表明し、議論を交わしながら、個人として尊重される。アメリカ文化をひしひしと感じました。

また、主人公の彼女も登場し、映画が進むにつれ別れることになり主人公が精神不安になる様子まで映し出される。なんかすごいなぁ…。パートナー文化があるんだろうね。日本で、知的障がい者のカップルを映すってまずない気がするもの。

アメリカにおける特別支援教育がどんなものなのか、そんなところにも興味がわきました。

 

 

「光」

hikari-movie.com

視力を失いつつあるカメラマンと、映画に音声ガイドをつける仕事をしている女性を主軸にした物語。

公式サイトやチラシでは、ラブストーリーとうたっているけれど、私は全然そん印象持たなかったなぁ。

河瀬監督の映画ゆえなのか、映画の中にも視覚障がい者の方が普通に出演してる。「あん」のときも思ったけれど、障がい者を広く公開される作品に出すって、日本だと多かれ少なかれ衝撃があると思うのです。(差別してるとか、そーゆーことを言いたいんじゃなくて、上手く伝わるかは分からないけど自分の身の回りでは意識することのない存在や問題を突きつけられるというか…)

視覚障がい者の方が映画を楽しめるように、音声ガイドをつけるっていうこの働きかけや仕事もなかなか注目するものではないよね。

光に希望を見出すものなのかもしれないけど、私自身は全然見いだせなかったなぁ。「喪失」がこの映画の一つのテーマだと思ったけど、人によって失くしたものが視力だったり、夫だったり、父だったり正常な母だったり、若さだったり、憧れや尊敬だったり。人って失くしてばかりなんだろうか?

なんだかなぁ。

 

 

で、タイトルにもしましたが、人間ってやっぱり綺麗事だけじゃいられないのかなと思いました。

「ぼくと魔法の言葉たち」では主人公の兄が、「ディープキスは舌を使うってどう教えるんだ?」とカメラに向かってコメントするシーンがあります。

「光」では、カメラマンが飲んだあと街中を帰る場面で道端の嘔吐物に足を滑らせ転ぶシーンがあります。

やっぱり衝撃的で。

監督たちは作品の中で何かの象徴として意味あるものとしてそういったシーンを取り入れて、そうして映画が作られてっていうのはすごく分かる。

でも、受け取り方として、受け止めきれない、そんなことわざわざ見せなくたっていいじゃないと思う面もある。

ミニシアターで上映されるわけだから、愉快でエンターテイメント性溢れるハッピーエンドな話ばっかじゃないんだけどね。

 

 

季節の花が咲いたよとか、今日はうろこ雲でねとか、美味しいケーキを食べてとか、きれいな物を見て優しい気持ちで生きていくって理想なんだろうか。インスタやブログで紹介される世界や日常は幻想なんだろうか。

でもどんな人も現実を生きてるわけだから、人生それだけじゃないってちゃんと知ってるんだろうな。

そうした中で、小さな幸せに気付ける自分でありたい。